お金
絶対にあるところにはあると思うんだよな〜
まるでおもちゃのコレクションの如く、持ってる人は持っていて、ドヤりたいが為に見せびらかせて、、
お金に困ってる人を揺さぶるように、
てか、お金持ちの気持ちはわからないけど、貧乏人の気持ちはわかる!貧乏だと何かにつけて納得しようと努力する!「ないもんはない」でないものねだりしてもしょうがないからあるもので勝負する!
あるもの、、それは、自分の五体以外には考えられないが、そこはそこで、すでに五体を使って仕事はしている。
しかしながら、人ひとりのチカラは小さなもので、体力の限界まで頑張ろうと一日当たり稼げるのは1万そこそこで、工夫なくしてはカラダ資本では、いつか破綻してしまう。
持ち前の体力も二枚目も面白さも、支えなくしては、もろくも崩れ落ちてしまい、世の中との歯車さえ噛み合わなくなり、空回りで終わってしまう虚しさと直面している。
お金持ちの条件に
「マインド」なるものは大切らしい、、、マインド、、その言葉の響きに、そこは『負けない心』ではないだろうかと推測する。
そこを深読みしたら、やはり、貧乏人はお金持ちに馬鹿にされてるようで、悔しさがこみ上げるが、ぐっと我慢しよう。
貧乏人が妥協するとか、ただの大人ぶっているのだろうかと、雲の上の人は高みの見物が如く知ったかぶりするのも腹が立つが、目の前に起こる事実の責任から逃げる訳にもいかない。
思えば、逃げてきた。
なんとかなるだろう、金は天下の回り物とばかりパァーッと使ってきた。基本、汗水流した金だから天下の回り物と言えないかもしれないが、それも丈夫なカラダあってのことで、感謝すべきことかもしれない、が、
丈夫なカラダもそもそも環境に順応した結果に過ぎないと、少々ひねくれた自分もいて、猿並みの運動神経も子供時代から修羅場をくぐってきた結果と自負する。
そもそもお金を稼ぐとゆうのは、「やったらやっただけ」とゆう概念が強すぎて、それ以上稼ぐとゆうことはギャンブルしかないと思っているのは、完全に貧乏性に取り憑かれているからなのだろうか笑
お金持ちとの格差ってのは、身についた性分に決まると思うこの頃で、
お金持ちの『マインド』なるものには、抵抗感や拒絶反応起こしてしまうのも『貧乏性』があるからなのか、
もし、お金持ちのマインドの対義語に、貧乏性が当てはまるのならば、わしは、そうはなりたくないと思う。否、「なれない」のかもしれない。
今までの自分を棄てて、今までの出会いや感動や感情を棄てることはできない。自分は自分でいることは小さい時から誓ったその心でいたいから。
それでもお金持ちになりたいから、その為にこれからも頑張るし、吸収したい。
何故だろう。頑張っても頑張っても貧乏のままだし、まだまだ努力が足りないのか、明日からもちゃんと飯を食って、安全にみんなが笑顔でいられる為にも、油断大敵を心に留めて頑張ろうと、思った。
神様はいると信じて。
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