心の旅
せめて心は自由だと、そんな強がりを込めたタイトルで、
よく晴れた休日の昼下がりから眠りの中に落ちていました。
見る夢といえば、やはり過去のこと、あんなことやこんなこと、今はなき若かりし日のあの人やこの人、
目を閉じて思えば声まで鮮明に思い出せる。
深い眠りの中、あの頃の忘れ物を取りに行くが如く過去への心の旅。
取り返しのつかないことは、人生、数度は経験することで、決定的瞬間とゆう時はスローモーションで意識に残るものである。
決定的瞬間にスローモーションであるなら、危機的瞬間にも、好機に転換することは容易いことかなって、夢みたりする。
選択を繰り返すのが人生とゆう教えの人もいるけど、『今、自分がここにいる!』自分の存在をよく理解して、選択とゆうなら、誰かが決めた2択を選び進む人間になるのか、自分で決めた道を進む人間になるのか、
その一歩は誰かの意思なのか、自分の意思なのか、
よく考えたいところである。
経験上、自分のやりたいこと、思ったことをすることが自分の意思であり、後悔しようがない道のように思える。
人との付き合いは難しい。
ひとつ思い出したことがある。
船は「出発して目的地に辿り着く」とゆう、その責任能力が発揮してこそ、『船』と呼べるもの。
とある漫画の1ページに目から鱗が落ちた思いがしたことがあって、
いくら見た目が立派であろうとも、次の陸地へ運べない船は、『船と呼べないもの』であると、
ならば、これに当てはめる『人』とはなんだろう、と、
嘘をつくのも人間だが、人が人を騙すのも人間だが、本当の『人間』て、そうではないと信じたい。同じ人間。同じ人間なのに…。と、思う場面がある。💧
自分の手足がなぜあるのか、五体満足は何のためにあるのか、あまり考えるところではないが、それはきっと『誰かの為』であることに最近になって気づく。
裏切られようが、何を言われようが、『人を信じる』それしかできない。それで後悔しない。
それしかできないから。
自由であることに変わりはない。
心だけは…。
忘れない。