ただの思い過ごしかも知れないが、、
今回の記事は自分ひとりで抱えていた気持ちです。
ある人には「そんなこと当たり前だろう」
ある人には「くだらねえ」
わたし的に「One chance」
「それな!」を期待して今回の、「ろくでなしの唄」いってみようと思います。
わたしは二十代中盤の頃から眼鏡をかけ始めましたが、
今は眼鏡を通して見える日常は、それが当たり前の世界になっていたのです。
それを過去形に話してもいいのかわかりません。
或いは、当たり前の世界なのかもしれないのですから、、
前振り長く思わせぶりと思われてしまいそうなんですが、
試しにいきなり本題にいってみましょう。
眼鏡をかけてない人にはおそらく無縁の話しでしょう。あしからず。
では、
人と出会うことは、直に出会うこと、「出逢う」とこんな漢字を使うこともあるのだけれど、
眼鏡をかけていては目にコンドームをはめて、人と接しているようなものかな、、。
人と人が出逢うことはお互いにとって重大な事件になるのかもしれないということ。
「綺麗なものを見ると目が良くなる」
と昔、よく聞きました。
綺麗なもの。
夜景、夕焼け、朝焼け、星空、熱帯魚、などなど。
確かに目の保養にはなりそうで、わたしも常々、意識はしているのであります。
それは間違いではないでしょう。
ですが、わたくしにとってこの世で1番綺麗なもの(心)は目だと思うのです。
小学生の頃、よく「先生の目を見て話しを聞け」「目を見て話せ」「相手の目を見て話しをしよう」と基本中の基本と思われるかもしれませんが、
『目は口ほどにものを言う』
そうゆうものかな、、
やっと分かったような、わからないような。
でもやってみる価値はあると思った47の俺。
なるべく人と話すときは眼鏡を外して話しをしてみようと思う。
何か変化はあるかな〜。
相手も目を見て返してくるからね〜、ちょっと恥ずかしいけどw
わたしは子供の時から感情は体全体で表現する子でしたので(口下手)、変に目を合わせて話しをしたら構えられそうですが😅